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ちゃびーの小部屋

ちゃぶ台返し女子アクションと語る「女性らしく」から「自分らしく」へ

女の子として生まれるということ

男の子は「男である」という認識から始まり、女の子は「男ではない」という認識で育つというのをどこかで読んだことがありました。

20何年ほど前、あるところに女の子が誕生しました。真夏の、ひまわりの花が畑を埋め尽くす季節のことでした。2年後、その女の子の家には弟が誕生しました。そしてその時から、女の子の人生は大きく変わることになったのでした。

食事の席はいつも決められていました。祖父母、母、女の子、弟という家族構成で、祖父と弟が必ず上座、女性は歳上から順次座るので年齢の1番若い女である女の子はいつも1番下座でした。家族の誰かがお代わりをしたいときは、女の子がいつもよそいにいきました。

新聞を読む順番も、お風呂に入る順番も男が先と決められていて、男であるか、女であるかということで異常なほど家の中でその人間の価値が決まる環境でした。

その女の子の自尊心はいつもボロボロでした。自分は姉で、弟よりも歳上であるにも関わらず、1人の人間として弟よりも価値のない存在のように扱われいかなる状況においても自分が1番として扱われることは一度もなく、お前は生まれた時から女である以上、男に仕え(皿の上げ下げ、ゴミ出しなども男である弟はする必要はないが女は男の分までしなければならないとされていた)女であるというだけで男よりも劣る存在なのだと実生活を通じて繰り返し植えつけられてきたようなものでした。

料理ですらも、取り分けられた料理は「これは弟の皿、これは女の子の皿」と決められて、女の子のほうが歳上で、なおかつ女の子も成長期であるに関わらず弟のほうがいつも多い分量を与えられていました。そしてそれらに抗議することも許されず、というよりそのように育ったのでそれに異議を唱えるという考えすら起こることなく日々を過ごしていたのでした。

祖父母は3人の子供に恵まれていたのですが女の子ばかりで、どうしても後継ぎの男が欲しかったという悔しさや執念が男の子の孫が生まれたことにより爆発し、そこに全ての執念が注がれているかのように異常なまでに弟を溺愛し、男である弟がいかに特別な存在であるか、そして「男ではない」弟の姉との差別化を図るために弟をまるでこの世の後継者かのように扱う一方で、女の子は下女のように扱うことでその存在意義を明確化しているかのようでした。

女の子がたまたま弟のアルバムを見たときにも「◯◯家待望の男の子誕生」とデカデカと書いてあるのを読んで、いかに自分と弟の扱われ方に雲泥の差があるかと合わせて考えても、自分が生まれた時は女だからがっかりされたのだろうか、とも考えたこともありました。

その女の子が自分の育った環境の異常なほどの男、女という性別へのこだわり、そしてただ女であるからというだけで自分がいかに価値が低いかのように扱われていたか、一人の人間としての自信を喪失させられていたか、自尊心を傷つけられる環境にいたかということに気づいたのは、高校を卒業し初めて家を出てからのことでした。

ここまでのあからさまな男女の育てわけかたは今では稀かもしれませんが、その後の人格を決定づける幼少期においての家庭での環境がいかにその子が成長してからも尚、長きにわたって影響を与えるかを考えてみれば、どこの家庭でも今一度自分は子供にどのように接しているか、きょうだい間ではどうしているか、考えてみる時間を持ってみてほしいと思ってしまいます。少なくとも子供が自己肯定感と安心感を持って成長するべき場所である家庭の中では、子供は「男が、女が」ではなく、自分が一人の人間として価値のある存在であると実感を得ながら生きていけることが当たり前であってほしいと思います。