ちゃびーの小部屋

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「愛の詩」に隠され見逃された智恵子の悲鳴 

近代文学研究者で女性学者でもある駒尺喜美氏の「魔女の論理」は女性として一度は読みたい名著。その中の一編をご紹介します。

『「智恵子抄」は光太郎の贖罪のうた』 

智恵子抄」といえば、あまりにも有名な高村光太郎と智恵子の芸術家同士の美しい愛の物語ですよね。少し前の日本の義務教育を受けた者なら誰しも頭にそうインプットされているかと思います。でも、社会でジェンダー化されてしまっている頭を”ニュートラル”にして読んだ駒尺喜美さんには、全く違ったメッセージとして届いたようです。

ショッキングな話ですが『智恵子抄』は智恵子の人生を奪った光太郎の贖罪のうただというのです。
光太郎は女性がお嫁に行くことの意味を”男に負ける”と言い、”女性の身を売ること”だと認識していた。それでも彼は妻の智恵子を鉄の囲の中に閉じ込めてしまったというのです。

智恵子抄」の冒頭には光太郎の「人に」という詩が載せてあります。
“あなたはその身を売るんです。・・・ そして男に負けて・・ああ何という醜悪事でせう・・・”。
駒尺喜美は、この詩こそ、光太郎が”女性は結婚により男に負かされる存在だ”ということに気づいて書いたものだと言います。また、智恵子の書いた、自分の母への手紙の中からも、囲の中で智恵子が実際に叫び続ける声を幾つも見つけています。

時間と経済力、そして自分を生きることを阻まれ、安らげる家がない、を4つの疎外と言い、結婚生活の中で智恵子ははっきりとそれを感じていたことが手紙には記されていると言います。そして、疎外を感じながらも逃れられない苦しみを、目覚めた者の苦しみだと書いています。これこそが智恵子を狂わせた理由なのだと。分っていながらそうさせた自身の贖罪のうたとして『智恵子抄』が書かれたのだとしたら・・・?

「人へ」をこのように読ませる解釈は多くはなく、智恵子に婚約者がいることを知った光太郎が知らぬ相手へ嫁ぐ予定の智恵子を憂いたものとして読まれることが多いでしょう。ただ、相手が誰であろうと女性が嫁ぐことの意味を示していると読むことはできそうです。

そんな、女性の立場をあからさまに描いた文章が光太郎によって書かれていたことに、もっと気づき、言及することはあっても良いのだと思います。駒尺喜美のように。

これまで、まったく女性の差別や立場の問題の観点から取り上げることはなく、”愛の詩集”としての側面だけを捉えて教科書にも載せてきたことが今となってはとても不思議。既得権益を守る側の男性である光太郎が、支配される側に寄り添い、妻に慈悲と情けをかける姿をこうも美しく描いたこと。それこそが皮肉にも智恵子だけでなく全女性の悲鳴をも閉じ込める結果となったと言えるかもしれません。

 

『魔女の論理』駒尺喜美
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