アディーチェを読んで仲間とフェミニズムを語る会のご報告
<月例イベント6月の会のご報告>
アディーチェを読んで「仲間とフェミニズムを語りませんか?!」の会を6月25日(日)に開催いたしました!ちゃぶ台返し女子アクションで、フェミニズムという言葉を使ったのは初めて。そこで、ここで私たちがフェミニズムをどう考えるかを少し解説しますね。
「フェミニストはセクシスト(sexist)でない人のこと。つまり、性差別者でない人のこと。」です。
とても範囲は広いので、居心地がよくなった方もあるのではないでしょうか。
とは言え、フェミニズムの語り方はいろいろで、コレと言えないところがあり、堂々と出すことに躊躇していたのかもしれません。今回は、テーマをナイジェリア出身の女性作家、チママンダ・ンゴスィ・アディーチェさんの著書とスピーチにして、彼女の唱えるフェミニズムをベースにしました。
日本語に翻訳されたチママンダ・ンゴスィ・アディーチェさんの
『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』
女性なら「そうそうそう!!」とうなずける場面がたくさんあるのではないかと思います。とても読み易い本です。
また、本が手元になくても、アディーチェのこんなスピーチを聞けば、彼女のフェミニズムがわかります。
フェミニズムはカルトではない ナイジェリア女性作家の卒業式スピーチ - ログミー
http://logmi.jp/145681
ということで、会場に集まった私たちは、アディーチェの声から何を思ったかを共有しました。
と・こ・ろ・が・・・
意外にシンプルに共感した!という人は少なかったのです。
まず出たのは、ここでいうフェミニズムは”男か女か”に限定されている。LGBTの気持ちはどこで汲めばよいのか。という質問。
フェミニズムの語源はフェミ=女性ですが、性差別主義でないということであるのなら、その他の性についても差別的であってはいけないハズ。
この意見には全員、納得したのでした。
議論が深まり、たどり着いたのは、何故、日本では普通の女性達が声をあげることがなかったのか。という点でした。それがないから未だに変わらない・・
フランスを初めとした広いヨーロッパやアメリカでは、早くから女性が自分達の権利を求めて声をあげて来た。今があるのはそこで獲得された権利があるからだ、と。
また、現在、世界でジェンダーギャップが最もないとされるアイスランドも昔からそうだったわけではない。という話も。1975年10月24日、アイスランド女性の90%が、男女平等の権利を訴えるストライキを起こしたことがきっかけだそうです。
日本では、諦めとその立場に甘んじている女性が多いのかもしれない。また、戦後の専業主婦を抱える幸せな家族像を支えた高度経済成長が、結果として女性の声を抑制してきたのかもしれない。という声も。
時代はすっかり変わり、女性を取り巻く環境は大幅に変化しているのに、女性の置かれる立場が変わらない理由は、祖父母から父母、その子ども達へと昔の考え方が伝承されているからでは。親の女の子、男の子の育てかたが変わらないとフェミニズムは浸透しないのだから、育てる世代が変わろう!
そんなことを参加者とたくさん話して来ました。
今、フェミニズムは世界に広がっています。
歌姫ビヨンセは「Flowless」でアディーチェのスピーチの一節を引用しました。
この部分です。
『女の子には、小さくなれと教えられてしまうのです。大志を抱いてもいいけれど、大概にしたほうがいい。成功を目指してもいいけど、あまり成功しすぎると男の立場を脅かすことになるから気をつけて。』
そして、なんと日本ではGUが頑張りました!
こちらはDIorのお値段から0が2つも取れてリーズナブル。
こんな話、自分の話、一緒に語ってみませんか?
最後はお約束のちゃぶ台返し。
あなたも一緒に日本でフェミニズムを叫んでみませんか?
次のちゃぶ台返しの会でお待ちしています!
予告: 8月26日(土)13:30〜16:30
また、ご意見もお待ちしています。
Mail: yumekataritai@gmail.com
THE昭和なリセットボタン「ちゃぶ台返し」
大森の商店街で開催した「プレミアムフライデーのちゃぶ台返し」のご報告です。
男性参加者率が高かった5月26日の会は、叫びの内容がいつもと少し違ったような気がします。
嫌なこと、めんどくさいこと、そんなものは全てちゃぶ台と一緒に返してしまおう!
明日からまた頑張ればいいじゃないか。
正に、そんな感じ。
ちゃぶ台を返してスッキリしたら、後で振り返って考えてみる、というスタンスのように見えました。さっぱりしていますね。
ということで、商店街の理事長さんも見にいらしたちゃぶ台返しは大森で大盛り上がり!
ちゃぶ台返しの前には、定番のメモ書きをしました。みなさん、ワークにも熱心に取り組んでくださいました。これは、叫んでちゃぶ台を返す前に自分の心の内を知るための準備運動です。自分の思いを書いたら、隣の人とシェア。話すことで、思いは更に整理されます。また、人の話を聞くことで気づきがあったり、疑問を持ったり、勇気づけられたりもします。
「自分を大事に」ってよくいうけれど、一体自分は何が好きで、何に喜びを感じ、どんなことを大事にしたいんだろう……そんなことを少しの時間、集中して考えて、書き出してみます。すると、もやもやっとしていた思いの底にある問題が見えてきます。
自分が自分であるための阻害要因がそこに隠れているから、もやもやするんですよね。
問題が見つかったらそれを、ひっくり返してしまいましょう。「ちゃぶ台返し」という物理的な作業は、私たちを阻害する何か「問題」を取り除こうという行為のメタファーなのです。
書いて、話して、何かに気づき、場も温まったところで、商店街のアーケードにちゃぶ台を設置!いよいよちゃぶ台返しの時間です。
新調したばかりのちゃぶ台の上にはフェルトのお手製お茶とお煎餅を置き、雰囲気はお茶の間そのもの!みなさん、勢い良く返してくださいました。
「書く」→「叫ぶ」→「返す」
頭と身体を動かすことで、心はリリースされていきます p<´━━━━`>q
そしたら、自分をもっと好きになることができますよ!
さあ、次の「ちゃぶ台返し」はまた大森でやります。
あなたも是非、いらしてくださいね。
ところで、この場所、アキナイ山王亭は、大森駅から一本道を真っすぐですが、駅前の神社周辺を散策するのも面白いです。
山王口を出て目の前の急な階段の上に、古くて小さな天祖神社があります。庶民の町と山王のお屋敷の間にある感じでしょうか。すごく狭くて足を踏み外しそうな石段を上るとちょっと暗い鬱蒼とした木々の中にお宮がありました。
お参りをして奥へ出ると、駅へ戻る坂道に出ます。すると、神社側の壁に馬込文士村を紹介するレリーフが並んでいることに気づきました。道行く町の人達は気にも留めていませんでしたが・・
明治から昭和初期にかけて文士や芸術家が多く暮らす街だったのですね。その中のひとつがこの女性文士達。片山広子、宇野千代、村岡花子、吉屋信子、佐多稲子です。
「馬込文士村時代、それは女性活躍の時代でもあった」と記載があります。
そしてもうひとつは尾崎士郎と宇野千代の図。「ふたりが夫婦だった頃・・」という記述には感心。恋愛にも自由に生きた千代さんの過ごした一時代はここだったのでしたね。
大森は、昭和初期に頑張っていた女性達に励まされる街でもありました。
夢語りとお花見の会、開催報告
【ご報告】夢語りと花見の会、4月9日に開催しました〜!
たくさんのお菓子と温かいお茶で雨の日の花見(?)お茶会を開催しました。
「お花見」というキーワードで参加してくださった方や好きなように生きていいじゃない!という近くに住む方も迎えてちゃぶ台トーク。
でも、やっぱりただのおしゃべり茶会ではないのがちゃぶ女。
テーマを「やりたいと思ってできていないこと」として、メモ書きをしながら話し合うと、次のやるべきことが少し見えてきたみたい。また、アロマの講習あり、「私にはできるの感覚へ」という女性のエンパワメントについての論文発表もある実り多い会でした。
最後にみんなで新しい手作り「ちゃぶ台」をひっくり返して花見会は終了。
新宿中央公園の桜を横目で見て次回の構想を練りながら帰ったのでした。
これからも毎月、自分らしい生き方を応援するイベントを開催する予定なので、ご参加をお待ちしています!
女の子として生まれるということ
男の子は「男である」という認識から始まり、女の子は「男ではない」という認識で育つというのをどこかで読んだことがありました。
20何年ほど前、あるところに女の子が誕生しました。真夏の、ひまわりの花が畑を埋め尽くす季節のことでした。2年後、その女の子の家には弟が誕生しました。そしてその時から、女の子の人生は大きく変わることになったのでした。
食事の席はいつも決められていました。祖父母、母、女の子、弟という家族構成で、祖父と弟が必ず上座、女性は歳上から順次座るので年齢の1番若い女である女の子はいつも1番下座でした。家族の誰かがお代わりをしたいときは、女の子がいつもよそいにいきました。
新聞を読む順番も、お風呂に入る順番も男が先と決められていて、男であるか、女であるかということで異常なほど家の中でその人間の価値が決まる環境でした。
その女の子の自尊心はいつもボロボロでした。自分は姉で、弟よりも歳上であるにも関わらず、1人の人間として弟よりも価値のない存在のように扱われいかなる状況においても自分が1番として扱われることは一度もなく、お前は生まれた時から女である以上、男に仕え(皿の上げ下げ、ゴミ出しなども男である弟はする必要はないが女は男の分までしなければならないとされていた)女であるというだけで男よりも劣る存在なのだと実生活を通じて繰り返し植えつけられてきたようなものでした。
料理ですらも、取り分けられた料理は「これは弟の皿、これは女の子の皿」と決められて、女の子のほうが歳上で、なおかつ女の子も成長期であるに関わらず弟のほうがいつも多い分量を与えられていました。そしてそれらに抗議することも許されず、というよりそのように育ったのでそれに異議を唱えるという考えすら起こることなく日々を過ごしていたのでした。
祖父母は3人の子供に恵まれていたのですが女の子ばかりで、どうしても後継ぎの男が欲しかったという悔しさや執念が男の子の孫が生まれたことにより爆発し、そこに全ての執念が注がれているかのように異常なまでに弟を溺愛し、男である弟がいかに特別な存在であるか、そして「男ではない」弟の姉との差別化を図るために弟をまるでこの世の後継者かのように扱う一方で、女の子は下女のように扱うことでその存在意義を明確化しているかのようでした。
女の子がたまたま弟のアルバムを見たときにも「◯◯家待望の男の子誕生」とデカデカと書いてあるのを読んで、いかに自分と弟の扱われ方に雲泥の差があるかと合わせて考えても、自分が生まれた時は女だからがっかりされたのだろうか、とも考えたこともありました。
その女の子が自分の育った環境の異常なほどの男、女という性別へのこだわり、そしてただ女であるからというだけで自分がいかに価値が低いかのように扱われていたか、一人の人間としての自信を喪失させられていたか、自尊心を傷つけられる環境にいたかということに気づいたのは、高校を卒業し初めて家を出てからのことでした。
ここまでのあからさまな男女の育てわけかたは今では稀かもしれませんが、その後の人格を決定づける幼少期においての家庭での環境がいかにその子が成長してからも尚、長きにわたって影響を与えるかを考えてみれば、どこの家庭でも今一度自分は子供にどのように接しているか、きょうだい間ではどうしているか、考えてみる時間を持ってみてほしいと思ってしまいます。少なくとも子供が自己肯定感と安心感を持って成長するべき場所である家庭の中では、子供は「男が、女が」ではなく、自分が一人の人間として価値のある存在であると実感を得ながら生きていけることが当たり前であってほしいと思います。
『惑う』私たち
皆さんはじめまして。ちゃぶ女メンバーの「むぎ」と申します。このブログも始まって半年近くになりますが、遅ればせながら私は今回が初投稿です…。
どうしようもないくらいの遅筆・筆不精な私、書く話題考えても悩んでばかりだったここ数ヶ月だったのですが、ようやく「書ける!」とスイッチが入ったような気持ちで、少しだけど一歩進めたかな、と思っています。
これを糧に頑張って投稿続けてまいりますので、ブログご覧の皆様、お付合いいただけたら幸いです。
今朝も何書こう何書こうとグルグル考えながら街を歩いてたのですが、ふと立ち寄った映画館で観た『惑う』がとても印象に残り、話題にさせていただきたいと思います。とても美しい映像を通して、家族、女性の生き方、などいろいろなことを考えさせられる作品だと思います。
舞台の中心は昭和50年代。雑誌編集の一線で活躍するかえで(演:中西美帆さん)は妊娠をし、ひとりで産み育てる選択をします。職場の上司からはこの大変な時期に何やってるの、もう辞めて、と言われ、帰省すれば世間体が、と言われ…。私も思わず涙と怒りがこみ上げてきました。でもこれが、当時の多くの職場や社会で普通にあったことなんですよね。
そんな状況でも前に進んでいくかえでの姿や言葉に本当に心を打たれ。今から40年近く前の場所に、現代の女性がそのまま現れて生きているような印象をおぼえました。
「この世に不可能という言葉はない」というセリフ。私の中にも本当に深く響きました。
「声を上げて社会を変えよう!」という思いを持って活動している私たちちゃぶ女ですが、メンバーそれぞれ、一朝一夕には変わらない社会の現状の前では「やっぱり変えるのは難しい…」と何度となく感じることと思います。
しかし、この40年を見ても、変わった・生きやすく働きやすくなった、と思えることはいっぱいはるはず。そこには変わってほしい、変えたい、という思いを持った人たちが無数にいて、声を上げる・活動することの積重ねがあったからこそなんだと思います。
少しずつでも良い方向に変わっていく未来を思い描いて、私たちちゃぶ女も、一歩一歩、取り組んでいきたいと思います。
【開催報告】 3/4 関西セミナー「A4メモ書きワークショップ」
皆様こんにちは。関西ちゃぶ女のRikaです。
同じく関西ちゃぶ女のあいさんと、3/4に関西初のセミナー「A4メモ書きワークショップ」を開催し、満員御礼で無事終了することが出来ました♡
12/4に東京で開催された「赤羽雄二先生のA4メモ書きワークショップ」の内容を
関西にも共有するとともに、ちゃぶ女活動についても広く知ってもらうべく開催した
このセミナー、年齢層もバックグラウンドも多様な方々にお集まり頂きました。
(勉強カフェ大阪(本町)さんの会議スペースをお借りいたしました。)
前半は、「メモ書きを実践する!行動する!」ことを重点にテンポよく進行
することで、メモ書きを体感して頂きました。
参加者の方々からは、
■ 時間を制限することで集中でき、頭がクリアになる感覚がわかった
■明日から毎日の習慣として取り入れたい
などのご感想を頂きました。
後半は、グループワークで悩みを引き出し行動に繋げていくプロセスを
体感頂きましたが
参加者の方々からは、
■アクティブリスニングの重要性が理解できた
■聴くことは、思いのほかパワーがいることがわかった
■行動することのハードルを上げてしまっていたことに気がついた
などのご感想を頂きました。
今回の活動を通じて、関西の働く女性のパワーに元気をもらいましたし、
私達の活動でそんな素敵な女性達を更に元気にしたい!!との思いが一段と
強くなりました。今後も、関西で活動を展開していきますので、
どうぞよろしくお願いいたします☆
(東京からの出張者さんも大歓迎です。笑)
なお、メモ書きの効用について、実体験を共有してくれたあいさんにも
とっても素敵なセミナーレポートを書いて頂いています♡こちらもご確認下さい。
頭を整理することで、心を整理することができる!
「A4メモ書き」ワークショップ最終会が開催された2月5日、全3回参加された方には2冊、2回受講された方々には1冊ずつ赤羽さんから著書が贈られました。
今日は、シリーズ3回を全部受講されたMさんから感想が届きましたので、みなさんとシェアしたいと思います。
〜赤羽先生のセミナーを受講して〜
今回、3回に渡って開催されたセミナーに参加させて頂きました。
A4用紙に自分の悩み等をメモ書きし、頭を整理することで、心を整理することができるのだなと実感しました。自分が抱えている問題を分解して、どの様な順番で解決していかなければならないのか。決められた時間で書き出し、問題点をどんどん掘り下げていくことで、効率良く根本的な問題点が明確になりました。
解決策を考えるにあたっても、自分の今までの経験から考えることにより、“自分にも解決できる”という自信がついた上に、解決まで遠く感じていた問題が、より身近に感じ、自分に出来るより具体的な改善策を考えることができました。さらに、目標を3ヶ月後や1ヶ月後等に設定することにより、解決したい目標をどんどん逆算して考えていく為、問題を解決する為のハードルも下がっていきました。
このセミナーで1番良かったことは、他の人とそれらを共有することにより、自分で気付いていなかった視点に気付くことができたり、自分が思いつかないアドバイスを貰ったりすることができたことです。実際、同じ様な悩みを抱えている方も多く、悩んでいるのは自分1人だけではないのだなと思いました。
このセミナーを通して、とても前向きに物事を考えることができる様になりました《メモ書き》は、プライベートでも、仕事でも非常に役立つなと思いました。今後も続けて、もっと様々な作業時間を短縮し、時間を有意義に使っていきたいなと思います。
メモ書きを学ぶことで心の整理ができて、前向きにもなれることを3回の受講を通して実感してくださったようです。しかも、時間を大切にすることができるようになるのが、この方法の特徴ですね。
今後、色々な場面で活用してくださいね。
自信を持って声をあげていけるよう、応援しています!